12/24 昨夜の芝居

劇団820製作所の芝居を、昨夜初めて見に行きました。
参加している友人から、主宰の方が持つ世界観の独特さを聞いていたので、前から気にかけていた公演です。

確かに、公演が行われた劇場のありかた含めて(この劇場に来たのは2回目、前回は観劇後に劇場に泊まっている・・)、面白い/珍しいと感じました。そう感じたのは、彼らが以下のスタイルで作品を演じていたためです。

・詩的な言葉で語られる、半覚醒状態での世界を物語の形に落としていたこと
・その物語は、何もない素舞台(小道具はイスひとつ)で演じられたこと
・身体は、ひとつのあり方ではなく、複数の役(演技)を通じて様々な形で用いられたこと

これらの要素が、現在も演劇のスタイルとして強さを持っていると改めて感じさせられると同時に、彼がまだ二十歳になったばかりということからくる珍しさ、というか妙な感覚を覚えました。

そしてそのあとに劇場で鉢合わせた友人との席で話しながら、これは自分も19のときに、野田秀樹の赤鬼を野外で行った(担当は舞台美術)からかもしれない、とも思いました。
別に二十歳のころを思い出したというほど自分も年を重ねていませんし、作風が近い(赤鬼以外に、オリジナルも行っていました)ということでも無いのですが、あの頃、こういうのをやりたがっていた自分がいたことを、少し思い出したのだと思います。

最後に、作品について少し。作品タイトルの「スロウ」、あるいはその日本語訳として(作品の中で使われていた)「ゆっくりと」についてのメッセージが、物語の最後に、明確な形では結ばれなかったことが惜しまれます。

本公演で作者が伝えたかったことは、「ゆっくりと」侵食が進む、歳を重ねる、○○の時間が終わる(あるいは結局はまだ終わらない)ことで、世紀末から21世紀になって頻繁に聞くようになった「スロー(ライフ/フード)志向」とは別モノとしての、時代観としての「スロウ」であると感じました。

まるで昼夜の切り替えにあわせて入れ替わるかのごとく、性格/存在の変化を繰り返した連隊(パレード?なぜ)のメンバーの有様は、「スロウ/ゆっくりと動く自分たち」をどう表してくれたのか。観客として、興味深いからこそ気になりました。

19の自分を思い出したことも、「スロウ/ゆっくりと動く自分たち」に意識を向かわせます。
世界はゆっくりと動くものに、なり始めているのだろうか。
5歳下、10歳下、20歳下・・・・下、下、下を向いている様を感じます。

先日の七里ガ浜で、丘から下に眺めた海の景色を思い出しました。

2005年12月24日(土)

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