6/3 路線を歩く
具体的な調査結果を知っているわけではないが、東京都心において「舞台芸術団体による自主的な公演」は現在非常に多く、その状況を東京というターミナルで把握しようとすること自体、想像だにしないことだと思う。関心を持ち、意識的に情報に目を向けて選別し、その上で積極的に時間を調整して会場まで足を運ぶことを繰り返すとしても、多くは追い着かずにかなりの数を見落としていく。
自主公演を行う側には理由がある。作品を発表しない限り、創作技術の成長は見込めないし、様々な種類の観衆に目を向けてもらうことも適わない。背景には、創作の評価軸として同時代性(contemporary)が前面に出るようになり、何かしらの既存の方法論を学ぶ前に先ずは自らの手で思うように作る行為を重ね、その結果を通じて自分がどのような方向性に在るか(歴史と繋がっているか)を発見しようとするアプローチの浸透がある。既に幾重に分化する歴史を互いに比較し、検討と習熟を可能にする環境が見当たらない状況では、たとえ未熟であっても作るしかない。
このアプローチが許す時間には限りがある。目安として、最初の4年。一部にとっては、続く2年。時間が来れば、勝手・自由に人が行き交うターミナルを出て、それぞれの細分化された路線の先、自らの終着点としてのターミナルへと向かわなければならない。またある人は、巡回し続けるその場を改めてターミナルとして捉え、終着点とする。
4年目に入り、選択の結果として表れたごく小さな路線の、終着点近く。車内は別世界になると思っていたが、同じ車内に、ターミナルで目にした人がいることに気づく。歴史を見る目は、ターミナルでも生きているかもしれない。
