11/14 現在の理由
何故か、1人でいるときは昔のことを思い出してばかりいる。
いまは、高校のときのことを思い出した。
高校では、1年のときに部活に入らず遊んでいると(つまり帰宅部)、担任のOK先生に「なんか入っとけ」と、確か秋だな、そう言われた。ので、とりあえず「人がいないところに仲いいやつを呼び込んで一緒に入れば、好きな感じでやれるだろう」と企んだ。それが新聞局(中高両方の学校新聞を作っているところ)だった。
全くもって短絡的。
しかし、全くもって帰宅部らしい判断。
この新聞局には、結局卒業までお世話になり、色々と楽しい思いをした。
ただそれについては、今回はどうでもいい。そのことは別に思い出さなかった。思い出したのは、「ああ、どうも自分は、取材をするというのが向いていないというか、嫌な感じがするというところから離れられないな。自分は取材する側ではなく、される側になろう」と、卒業前の最終号を出すときに思ったことだ。そして、「大学に入ったら演劇をやろう、小学校のとき得意だったから」という話になった。
これはいま考えても殊更素晴らしく短絡的なのだが、当時は明らかに疑い無く判断していた。あらためて思い返してみても。
完全に大学1年の4月は、「演劇やる」という自己紹介だった気がする。しかし演劇のことは全く知らなかった。そもそも、演劇らしい演技をやりたくないということに、1つだけあった学内で公演を行っている演劇サークルに入り、稽古が始まってようやく気づいていた。それでも、「演劇やる」というのが「舞台やる」という言葉に変わっただけで、短絡的な判断そのものを疑うところに行かなかったのはなぜなのかは、未だよくわからない。
先日、27になった。
あれから既に8年半が経っているので、その短絡的な判断を選択した理由については、更によくわからない状況になっている。短絡的にというにはあまりに長く続き過ぎている、なので何かもっと深いところに理由があるような気がしてくる。ということ。
でも、今日はそれについては思い出さなかった。
