12/15 初心
なぜ、劇場以外の場所を空間として舞台を作り、発表するのですか。
AAPAの公演を観に来るひとが持つ、素朴な疑問のひとつはこのことだろうと、前々から思っている。
これには様々な理由があるのだけれど、思いつくものから挙げるとすれば、そもそも中心になっている人間が、劇場の設備を使って舞台を作った経験が無いというのがある。劇場のような場所や舞台での実演の技法を知る前から、学校の教室などを使ってパフォーマンスを作り、それを眺めてくれるひとに見せていたたので、舞台をやるから劇場が必要という考えが、最初から無かった。別に場所は、それなりに長期間使うことができて、照明や音響用の電源が引いてこれるところであれば、何をやりたいかに応じて好きに選べば良いものだった。
ただその内に、「劇場」という設備も市内に1つあるかどうかというレベルのものではなく、小劇場と呼ばれるものが東京には数十箇所の規模であることを知った。また自分がやってみたいと思うようなことが、「舞台芸術」というジャンルとしてあることを知った。ただこのことに気づいたときには既に、大学に入ってそこそこ経っていて、劇場以外の場所で舞台を作ることが普通になっていた。なので劇場以外の場所であることに疑問を持つことのないまま、単純に事は既に、進み始めていたというわけ。
そして大学を卒業し、キャンパスの中で舞台を行う理由が無くなったとき、初めて外の「劇場」に目を向けたが、契約に必要な金額を見て、それに素直に納得することはできなかった。単純に計算して、公演をしても採算があわないというのもあるが、なぜそれだけの金額を必要とすることを自分たちがやろうとしているのか、理由が見えない、というのがあった。自分はいま、何をしようとしているのか。皆で南の島に、旅行にでも行けば良いのではないか?
ちょうどそのとき、大学での研究調査を兼ねて行った沖縄が楽しかったので(笑)、それなら夏に海水浴場で海の家をやるグループに混ざって舞台をやるのもありだ、と。それも地域の人とのつながりで、なぜか今回の海の家には場所の権利費というのがかからないらしい。それならこっちの方が良いではないか。
始まりは、そんなところだった。
そして海の家といっても、単純に今年はひとつ海の家をやらないところが出たから、その空き地になったスペースを使って良いよというだけだったので、とりあえず何かを建てようという話になり、自分たちで何か建物を作ったことなど一度も無いのに、プラスチックダンボールを使い、「フラードーム」という建築方法でドームを建てようとした。そして実際に作り上げ、確かに10数日の間、そのドームは砂浜に建っていたのだが、ある風が強い朝に、ドームは風ですっとんでいった。結局、舞台の日はそのバラバラになったパーツを拾い集め、なんとなく集まった皆の周りに配置して、場のようなものを見立ててそこでパフォーマンスをした。「劇場」での舞台とはあからさまに違う類のところで、よくわからないままに思いついたことをやっていたのだと思う。
この2003年の夏を教訓に学んだことは、学校のキャンパスから離れたからには、舞台を眺めてもらう空間として確実に使える場所を確保することが大事だ、ということだ。海の家を企画していたグループでも、次はもっと丈夫なものを建てよう、それには建築の知識が必要だという話が挙がったようで、次の年に同じ砂浜で海の家をやるという話になったとき、現場には建築を専門とするメンバーの姿があった。そしてその後、当初の企画主催者が辞めるという紆余曲折があり、舞台公演を企画から手がける形(「茅ヶ崎戯曲」)が取られ、同時にAAPAの活動が始まった。
なぜ劇場以外の場所で、舞台をやるのですか?
エントリーの最初に書いた、この質問への答えは、AAPAの場合はいまここで書いた事実以上のものではないと思う。確かにそこには、様々な理由や経緯があるけれど、ポイントは、劇場設備について知る経験の無いまま、舞台を勝手に作り始め、そのままの状態で作り続けていたこと。そしてその後も、一般的に「劇場」を借りる際に必要な金額に対して、根拠のある説明を自らにすることができなかったこと。大きくは、このふたつだと思う。
舞台を勝手に作る志向は今も続くと同時に、未だに「劇場」を借りるために必要な金額(様々な専門的な諸経費含め)に対して、根拠のある答えは出せずにいる。何かを作るということは、勝手に、つまり自由にすることができる。ただそのことが、専門的なサポートを得てできる、流通するものであるかどうかは、確かじゃない。それは、それだけのものを作ることができなければ、決して根拠をもって説明することができないことなのだと思う。
そしてきっと、根拠を示すことができる、それだけのものを作ることができれば、たとえそれが普段は劇場ではない場所での舞台であったとしても、その空間こそが、「劇場」と呼ばれるものに変わるのだと思う。そんな空間にこそ、出会ったときに印象に残る力があるのだと思うし、それこそが、出会いたい「劇場(と呼ばれるもの)」の姿だと感じている。
