1/10 ドレッシングをつくる

年明けすぐに風邪をひき寝込んでいたので、布団の中でよくよく考えたりしていた。

去年の年末からこのエントリーの中でも色々と書いてるが、AAPAでやっている舞台というのは、劇場で興行として流通する舞台と根本的に、拠りかかるところが違うのだろうと思った。料理を例にして書くなら、厨房で腕をふるう料理家ではなく、家庭で使うドレッシングの開発者だ。
うーむ、これは自分で書いておきながら、説明できてるかどうか全く自信ないな・・

やっぱりたとえ話でなくて具体的に書く。いま、誰もが詩として流通するだけの文章を書く素質があると言えるわけではないが、もやっとした気持ちがあるのをあるひとに伝えたいと思い、手紙やメールを書くのは一般的だ。そして最近、カメラやビデオを皆が持つようになり、ネットを利用することでコストをかけずに自分の撮った写真や映像をひとに届けることも可能になり、もやっとした感じを何かしらの形で視覚的に表すコミュニケーションというのも、そのうち生活の中に定着していくんじゃないかという感じがある。

(関係ないかもしれないが、小学生のころにもらっていた年賀状で、漫画を写した絵を書くのが好きな友達が、ひとりだけその年の干支とかまったく関係ない絵が書かれた年賀状を送ってくるので印象に残っていたんだが、もし、こいつはなんかセイントセイヤだろ、とか思って自分にあの絵を送っていたのだとしたら、正にあれがそうじゃないか。とかいまさら思った)

舞台の場合、カメラやビデオのように技術の革新を直接的に受けているわけではないが、他の視覚表現が日常的になるのを受けて、視覚的なものへの注目が次第に集まっている中、同様の方向に進んでいるということだと思える。たとえばそれは、職業として舞台に携わり、専門家として仕事をしているひと以外に、舞台周りについての能力や経験を持つひとの数が増えていっている、というように。
そしてAAPAは、この状況にある(実際は視覚だけじゃなくて環境の知覚だけど)舞台の分野で、職業としてそれを常日頃の仕事としてない人間が、その「もやっとした感じ」を表現するということに、取り組んでいる。


そしてこのとにかく長い話の結論は、結果として舞台での表現はプロとして活動するひとがいなくなるという話ではなく、またAAPAに関わっているひとにはプロとして活動するひとはいないよということでもなく、ただそれとは別に、舞台での表現やダンスという「現時点では抽象的で何が伝わってるのかよくわからないとされがちなコミュニケーション」を、日常の中で使うとしたらということかというのを考えるひとも、最近はけっこういるのでは、ということだった。

まあAAPAの場合、とりあえずこんなんでどう日常で使っていく気か、という形をしているので本当にその気があるのか怪しまれてもしょうがないところがあるが。けど、とりあえず邪魔になりそうなものは全部とって、素舞台でやりましょうという話なら、今さらわざわざこんなことを書いてやる話じゃない。

2008年01月10日(木)

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