AAPAのこと (7)
6/25 AAPAの夏
ここ数日、相変わらずの梅雨空が続くなーと思っていると、いきなりカッー!と日差しが射して、もうすっかり夏だよという気分。暑いです。
夏と言えば、AAPAを始めた年とその1年前は、2年続けて海の家に通い続けてた。だがそれからはずっと海から離れていて、去年の夏は岐阜の山々に囲まれた場所での公演。このまま海とは縁遠くなるかなーと思っていたが、今年は違う。7月末~8月中旬にかけて、約3週間に渡って淡路島(南あわじ市)に滞在することに。そして8月頭から中旬にかけて、野外でダンスパフォーマンスをやります。これまでで最も長い公演期間になるはず(無料ですが)。企画の詳細は、後日あらためて。
というわけで、海、山と来ていたAAPAの夏は、今年は「島」ということに。そして毎度のことだが、基本的になじみのない環境。もちろん日本がそもそも、島だけどね。
島について、いくつか目についたものをメモ。
・「東京近郊」の島
→竹芝桟橋より163km(船で2時間半)の新島で今年の夏を通して行われる企画
・淡路島と同じ「瀬戸内海」の島
→「探られる島」プロジェクト(兵庫県の家島)
→瀬戸内国際芸術祭2010(7つの島+高松)
2009年の日本の島。
これからの二ヶ月の間に視野を広げ、掘り下げていこうと思う。
2009年06月25日(木)
12/2 年の瀬
2008年に予定していた企画は、11/30をもって全て終了。
来年に向けてまた新しく進む必要があるけれど、その前に。
もともとAAPAを始めたときは、東京都心ではない場所で、劇場以外の空間を使って公演をすることが、舞台活動の持つ可能性を広げていくことに繋がるのでは、と考えていた。けれどAAPAとして活動を重ねるなかで、ただ劇場ではない場所で公演をする、ということだけでは充分では無くなってきていると感じる。
そんなことについて、考えを整理する年末にしたいと思う。
2008年12月02日(火)
9/30 今月から来月へ
もう9月も終わり。朝、起きるとかなり寒いけど、9月終わりの朝がいつもどんな気候だったか覚えていない。それですこし悩む。
相変わらず11月の次回企画に向けての稽古が続く日々ですが、明日から始まる10月の4日と11日(ともに土曜日)には、AAPAの舞台で振付・出演を重ねている永井美里のワークショップがあります。申込はAAPAでも受付ますので、こちらの詳細ページをご確認の上、ご連絡ください。
それと、永井さんに制作の山本さんがインタビューをしてくれたので、それもサイトに掲載しました。こちらからどうぞ。AAPAを知ったきっかけや、今後の活動内容について語ってくれています。
2008年09月30日(火)
9/26 +4とか+2とか
ダンスのショートピースを中心に構成した『アウェイ街区』(2006.12)でご一緒した木野彩子さんがゲストで登場する、日本のコンテンポラリーダンスについてのパネルディスカッション(他にワークショップ、研究発表など)が、今週末のロンドンで行われている。日本からは、山田うんさんやKENTARO!!さんが参加してるらしい。パフォーマンスもあるとのこと。内容・スケジュールはこちら。
このイベントに、AAPAの舞台に振付・出演で参加している永井美里もアシスタント兼通訳として関わっているそうで、彼女は今週月曜からロンドンに行っている。
永井さんによると、イベントの趣旨は「様々な立場でダンスと社会に関わっている人が、いま抱えている問題意識、意見を共有する場を作ること」なのだそうだ。
(それと永井さんは、帰国後にワークショップをするとのこと。詳細はこちら)
ここでの「ダンスと社会に関わっている」というのは、「ダンスを通じて社会に関わる」「社会を通じてダンスに関わる」の両方だと思うが、なかなかそれが難しいと思うのは、考えすぎているからかもしれない。
自分が「ダンスをわかる」のは難しいが、ダンスに触れるやり方や場所は持ちたい。これは演劇でも音楽でも映像でもデザインでも、同じだろうなと、よく思う。
supercar-STROBOLIGHTS
2008年09月26日(金)
1/10 ドレッシングをつくる
年明けすぐに風邪をひき寝込んでいたので、布団の中でよくよく考えたりしていた。
去年の年末からこのエントリーの中でも色々と書いてるが、AAPAでやっている舞台というのは、劇場で興行として流通する舞台と根本的に、拠りかかるところが違うのだろうと思った。料理を例にして書くなら、厨房で腕をふるう料理家ではなく、家庭で使うドレッシングの開発者だ。
うーむ、これは自分で書いておきながら、説明できてるかどうか全く自信ないな・・
やっぱりたとえ話でなくて具体的に書く。いま、誰もが詩として流通するだけの文章を書く素質があると言えるわけではないが、もやっとした気持ちがあるのをあるひとに伝えたいと思い、手紙やメールを書くのは一般的だ。そして最近、カメラやビデオを皆が持つようになり、ネットを利用することでコストをかけずに自分の撮った写真や映像をひとに届けることも可能になり、もやっとした感じを何かしらの形で視覚的に表すコミュニケーションというのも、そのうち生活の中に定着していくんじゃないかという感じがある。
(関係ないかもしれないが、小学生のころにもらっていた年賀状で、漫画を写した絵を書くのが好きな友達が、ひとりだけその年の干支とかまったく関係ない絵が書かれた年賀状を送ってくるので印象に残っていたんだが、もし、こいつはなんかセイントセイヤだろ、とか思って自分にあの絵を送っていたのだとしたら、正にあれがそうじゃないか。とかいまさら思った)
舞台の場合、カメラやビデオのように技術の革新を直接的に受けているわけではないが、他の視覚表現が日常的になるのを受けて、視覚的なものへの注目が次第に集まっている中、同様の方向に進んでいるということだと思える。たとえばそれは、職業として舞台に携わり、専門家として仕事をしているひと以外に、舞台周りについての能力や経験を持つひとの数が増えていっている、というように。
そしてAAPAは、この状況にある(実際は視覚だけじゃなくて環境の知覚だけど)舞台の分野で、職業としてそれを常日頃の仕事としてない人間が、その「もやっとした感じ」を表現するということに、取り組んでいる。
そしてこのとにかく長い話の結論は、結果として舞台での表現はプロとして活動するひとがいなくなるという話ではなく、またAAPAに関わっているひとにはプロとして活動するひとはいないよということでもなく、ただそれとは別に、舞台での表現やダンスという「現時点では抽象的で何が伝わってるのかよくわからないとされがちなコミュニケーション」を、日常の中で使うとしたらということかというのを考えるひとも、最近はけっこういるのでは、ということだった。
まあAAPAの場合、とりあえずこんなんでどう日常で使っていく気か、という形をしているので本当にその気があるのか怪しまれてもしょうがないところがあるが。けど、とりあえず邪魔になりそうなものは全部とって、素舞台でやりましょうという話なら、今さらわざわざこんなことを書いてやる話じゃない。
2008年01月10日(木)
12/30 駅前に行け
今年の4月末のワークショップから継続的に稽古に参加していた、ニューヨークの演出家(Yelena Gluzman)の舞台への出演も終わり、一息。
あらためて、上記のリンクにあるワークショップの紹介文やイェレナのプロフィールを読む。最初は何の実感も無く読んでいたが、公演が終わったいま、この文章から現れてくるものがある。この「最初に読んだときに実感がわかない」ということに、いくつかのヒントがあるように思う。そのひとつとして、自身の特徴のことを挙げると、文章の内容を信用する以上に、参加の門が開かれているのなら現場に訪れて判断すれば良いと考えているということか。だが今は、文章をもっと信用したいと感じている。自分が書く文章を、信用に足るものにしていくためにも。
そして今年はもう終わりだが、この一年、やろうと考えたことは殆どやった。来年は、この2007年の経験から学んだことを活かして、この先へと進んでいきたい。
そのときまず考えるのが、「AAPAとは何か」という自問自答。それでも今は、以前より明確な形が見えてきた。「AAPAについて」に書いた内容の先には、AAPAの活動の意味であり目標になる「生活環境をあらためて見つめるための場として、舞台("THEATER")を作る」ということがあると、今はより強く意識することできている。この言葉だけで充分に実感してもらうことは難しいに違いないが、それでも「なぜ劇場以外の場所で舞台をやるのか」という問いに、より直接的に答えられるようになってきた。
AAPA / Away at Performing Arts は、生活環境をあらためて見つめるための方法として、想像の世界(ここから離れた場所)にある舞台を作り続けていく。
来年、2008年のAAPAは、前回、急な会場変更の経緯を経て、入居するZAIMの地下空間で発表した「Paperagate」を、当初予定していた旧東横線桜木町駅舎(現・創造空間9001)に会場を移し、あらためて「自宅近くの駅前/ターミナル」の光景を見つめる舞台として作り上げる、『巡演の時間 その2/「PAPERGATE」』から始まる。
まずは年明け、1月13日・14日に横浜・STスポットにて、3月末の「PAPERGATE」の出演者募集を兼ねたワークインプログレスを行います。詳細は次回企画をどうぞ。
2007年12月30日(日)
12/15 初心
なぜ、劇場以外の場所を空間として舞台を作り、発表するのですか。
AAPAの公演を観に来るひとが持つ、素朴な疑問のひとつはこのことだろうと、前々から思っている。
これには様々な理由があるのだけれど、思いつくものから挙げるとすれば、そもそも中心になっている人間が、劇場の設備を使って舞台を作った経験が無いというのがある。劇場のような場所や舞台での実演の技法を知る前から、学校の教室などを使ってパフォーマンスを作り、それを眺めてくれるひとに見せていたたので、舞台をやるから劇場が必要という考えが、最初から無かった。別に場所は、それなりに長期間使うことができて、照明や音響用の電源が引いてこれるところであれば、何をやりたいかに応じて好きに選べば良いものだった。
ただその内に、「劇場」という設備も市内に1つあるかどうかというレベルのものではなく、小劇場と呼ばれるものが東京には数十箇所の規模であることを知った。また自分がやってみたいと思うようなことが、「舞台芸術」というジャンルとしてあることを知った。ただこのことに気づいたときには既に、大学に入ってそこそこ経っていて、劇場以外の場所で舞台を作ることが普通になっていた。なので劇場以外の場所であることに疑問を持つことのないまま、単純に事は既に、進み始めていたというわけ。
そして大学を卒業し、キャンパスの中で舞台を行う理由が無くなったとき、初めて外の「劇場」に目を向けたが、契約に必要な金額を見て、それに素直に納得することはできなかった。単純に計算して、公演をしても採算があわないというのもあるが、なぜそれだけの金額を必要とすることを自分たちがやろうとしているのか、理由が見えない、というのがあった。自分はいま、何をしようとしているのか。皆で南の島に、旅行にでも行けば良いのではないか?
ちょうどそのとき、大学での研究調査を兼ねて行った沖縄が楽しかったので(笑)、それなら夏に海水浴場で海の家をやるグループに混ざって舞台をやるのもありだ、と。それも地域の人とのつながりで、なぜか今回の海の家には場所の権利費というのがかからないらしい。それならこっちの方が良いではないか。
始まりは、そんなところだった。
そして海の家といっても、単純に今年はひとつ海の家をやらないところが出たから、その空き地になったスペースを使って良いよというだけだったので、とりあえず何かを建てようという話になり、自分たちで何か建物を作ったことなど一度も無いのに、プラスチックダンボールを使い、「フラードーム」という建築方法でドームを建てようとした。そして実際に作り上げ、確かに10数日の間、そのドームは砂浜に建っていたのだが、ある風が強い朝に、ドームは風ですっとんでいった。結局、舞台の日はそのバラバラになったパーツを拾い集め、なんとなく集まった皆の周りに配置して、場のようなものを見立ててそこでパフォーマンスをした。「劇場」での舞台とはあからさまに違う類のところで、よくわからないままに思いついたことをやっていたのだと思う。
この2003年の夏を教訓に学んだことは、学校のキャンパスから離れたからには、舞台を眺めてもらう空間として確実に使える場所を確保することが大事だ、ということだ。海の家を企画していたグループでも、次はもっと丈夫なものを建てよう、それには建築の知識が必要だという話が挙がったようで、次の年に同じ砂浜で海の家をやるという話になったとき、現場には建築を専門とするメンバーの姿があった。そしてその後、当初の企画主催者が辞めるという紆余曲折があり、舞台公演を企画から手がける形(「茅ヶ崎戯曲」)が取られ、同時にAAPAの活動が始まった。
なぜ劇場以外の場所で、舞台をやるのですか?
エントリーの最初に書いた、この質問への答えは、AAPAの場合はいまここで書いた事実以上のものではないと思う。確かにそこには、様々な理由や経緯があるけれど、ポイントは、劇場設備について知る経験の無いまま、舞台を勝手に作り始め、そのままの状態で作り続けていたこと。そしてその後も、一般的に「劇場」を借りる際に必要な金額に対して、根拠のある説明を自らにすることができなかったこと。大きくは、このふたつだと思う。
舞台を勝手に作る志向は今も続くと同時に、未だに「劇場」を借りるために必要な金額(様々な専門的な諸経費含め)に対して、根拠のある答えは出せずにいる。何かを作るということは、勝手に、つまり自由にすることができる。ただそのことが、専門的なサポートを得てできる、流通するものであるかどうかは、確かじゃない。それは、それだけのものを作ることができなければ、決して根拠をもって説明することができないことなのだと思う。
そしてきっと、根拠を示すことができる、それだけのものを作ることができれば、たとえそれが普段は劇場ではない場所での舞台であったとしても、その空間こそが、「劇場」と呼ばれるものに変わるのだと思う。そんな空間にこそ、出会ったときに印象に残る力があるのだと思うし、それこそが、出会いたい「劇場(と呼ばれるもの)」の姿だと感じている。
