2007年05月のノート
5/31 気づいている
最近、人が多く集まる場所/ターミナルで、通りすがりに偶然その存在を意識することになった人を、ターミナルの端にある自宅近くの駅に着こうとする車内にて、再び見かけることが続いている。
そのターミナルとは、新宿のことだ。自宅近くの駅はターミナルから伸びる沿線の端にあり、その沿線内で最も一日の乗降客数が少ないということを聞いたことがある。
2007年05月31日(木)
5/26 設計図とは(3)
「設計図」について、時間が空いてしまったが引続きエントリー。
この関心を寄せる理由は、前回書いた「ベース/核となるものとしての」という意味と、「(その設計図をもとに)見ることのないものを見る」という、次のステップへの繋がりにある。
「見ること」については、これまで書いてきたなかで関連の強いものがあったので、タグを付けて左上に。クリックでまとめて見れます。まあこれまで「見ること」繋がりでしか作ってきてないように思うので(LFもいま思えばこのエントリーで書いた内容から来ている)、全て関連するといえばそうかもしれないけれど、とりあえず。
見ることの中で更に、空間、時間、身体(間)と分かれ、続いていく。
2007年05月26日(土)
5/2 設計図とは(2)
竹本さんの絵を初めて見たのは、BankARTのNYKがオープニングしたての頃に行われた展覧会だ。それから、ZAIMに入居してから知り合った後、あの画を描いた人だということを知った。
今回のちぇるる野毛は、NYK以来、まとまった展示として作品を観る初めての機会だった。これが、作品展示の様子の一部。
竹本さんの画(「thinking painting」の一連のシリーズ)が展示されている様子を最初に観たとき、なにか浮かんだのだがそれがなにか、まだ上手く言葉にできていない。一度、「クローン」と言っていたときがあった(今年に入って三ヶ月くらい)。けれどそれは周りと話しているうちに、違うなと思い直した。
ちぇるる野毛であらためて展示として観る機会があり、もう一度考えてみたところ浮かんできた言葉は、「設計図」だった。なんども繰り返し書かれるもの、ベースとしての、ということからの連想。「thinking painting」の噴出しの空白と単色での構成が、「設計図」について個人的に考えていたことと繋がる、という感覚もある。ただ竹本さんの作品がそうかどうかということとは別に、「画を描く」という行為においての「設計図」について、気になっている。つづく。
2007年05月02日(水)
5/1 設計図とは
LFが終了し、4月も最後の方は、他のひとの作品をに観にいったりしていた。他のひとの作品を見るのは基本的にとても好きなので、いくつか報告したいと思う。
前は月ごとに、何を観に行ったか主なの10個羅列、みたいなことをやってたりもしたが、いつのまにか続かなくなっていたので(というか単純に舞台が近くなると更新しなくなるわけだが)、違う形で書いてみる。
今日書こうと思うのは、美術家の竹本真紀さんのことだ。この4月に、ちぇるる野毛での作品展示と、ZAIM本館403(竹本さんの共同アトリエ)「竹本真紀となぎゆうや」展を観た。竹本さんはZAIM入居者同士という縁もあり、AAPA+モモンガ・コンプレックス 『できないことは、できません。』 ではチラシデザイン用の画を提供してもらった。つづく。
