2007年06月のノート

6/28 次回は9月末

AAPAの次回公演は、約3ヵ月後の9月末を予定しています。
今回は、変則的な作り方になりそうな予感。

・・と言いつつ、これまではどうだったのか。
そう思って、LFの時のことをいま一度振り返っているというわけ。


詳細は決まり次第、次回企画のページに掲載していきますので、しばしお待ちを。

2007年06月28日(木)

6/27 LF検証(2)

今日はLFについて、順を追って整理してみる。

------

1. 場所の設定
2. 空間の設定
3. 作品テーマ
4. テキスト
5. 役柄の設定
6. 構成要素
7. シーンタイトル
8. 参考:言葉の解釈

------

上記の通り。

2007年06月27日(水)

6/26 LF検証(1)

LFについて、思い返した内容をメモする。

-------

見る側に、イメージするチカラは結構ある。
そこは、そんなに気にしなくても良い。

あとはストーリーという程、明確なもので無くていいが
設定が作り出す人間関係を構成していく。
個々の出演者の動きが、仕草ではなく、行為にまで至るように。

さかなをおろすという行為。

2007年06月25日(月)

6/19 今週末に

酒井幸菜によるソロパフォーマンスが、ZAIM別館301での企画展「ヒカリ」の会場で行われます。入場無料ですので、お時間が有りましたらぜひどうぞ。

hikari01.gif

■ダンスパフォーマンス 「ヒカリ」
(振付/出演 酒井幸菜、企画/構成 酒井梨歩)

>> 6/23(土) 14:00/16:30
>> 6/24(日) 15:30

 会場: ZAIM別館3F 301

2007年06月19日(火)

6/14 酢は酢だと言うが

「最近の酢の飲みものってほんと酢だよね」と言うのは、別に間違ってないはずだ。

「最近のレモン飲料ってほんとレモンだよね」
レモンジュースとレモンは違うのだから。ほら。

結局、レモンジュースは日常的に触れているものだから伝わるが、酢ジュースは一般的ではないので(この言葉自体が違和感を感じさせるため)、肝心のイメージを含む部分が伝わらないのだ。

人はイメージを、感覚を伝える手法として普段からよく使っていると思う。
ただ、一般的ではないものが相手だと、この酢の例のように通じなくなってしまう。


「酢はもともと飲料じゃないか」

まあそうだけどさ。つーか、調味料だろ。
かつ物質的に、「酢の飲みもの(酢ジュース)」と「酢」は違うしな。
レモンの場合もそうでしょう?


舞台芸術でのダンスパフォーマンスも、そんなあたりに居るのかもしれない。


2007年06月15日(金)

6/12 切り取られる

展望台のような場所が気になる。
あるいは、スタジアムの観覧席のような。

人が立ち、カメラが向けられる場所。

ただ、屋根と三方に壁ができている
黒い部屋

2007年06月12日(火)

6/6 視線の先の先

今夜、自宅近くの改札を出て。ものの2秒も無いように思うが、視線の先を少し長く、直線上の他人に向けていると、視線を覚られて振り向かれる。反射的に相手の目から視線を逸らす動作に入り、相手の顔はその後に知覚する。

その時に思う。この人の顔を見て自分が視線を逸らす、意味が出来上がっている。しかし逸らす動きは止めようがない(もう終わっている)

あれは気まずい。

2007年06月06日(水)

6/5 ニュータウンを臨む

自分の家も新住民だと思うが、自宅付近はニュータウンではない。
ニュータウンとは、一括での地区計画が為された場所なのだと思う。

2007年06月05日(火)

6/4 宇津貫の記憶

多摩美に初めて行ったという話を書いたばかりだが、AAPAが始まる前(2003年の夏)に舞台で音を流してもらい、再びLFで「環境音楽」として一緒に舞台を作ったDJのこーだ君が、足立区から(!)4年間通ったという東京造形大学も、自分の家からかなり近いという事実を、今さら知った。ニアミスしまくってんじゃないか。これは多摩美とほとんど同じような場所だな。

そして造形大の住所を見ると、宇津貫町とある。小学校のときに入っていた、学外のサッカークラブのグラウンドがあったところの地名だ。あの頃はとにかく何もない場所で、グラウンドだけがあった。今はポスト・ニュータウン(?)の、「みなみ野シティ」になっている。

2007年06月04日(月)

6/3 路線を歩く

具体的な調査結果を知っているわけではないが、東京都心において「舞台芸術団体による自主的な公演」は現在非常に多く、その状況を東京というターミナルで把握しようとすること自体、想像だにしないことだと思う。関心を持ち、意識的に情報に目を向けて選別し、その上で積極的に時間を調整して会場まで足を運ぶことを繰り返すとしても、多くは追い着かずにかなりの数を見落としていく。

自主公演を行う側には理由がある。作品を発表しない限り、創作技術の成長は見込めないし、様々な種類の観衆に目を向けてもらうことも適わない。背景には、創作の評価軸として同時代性(contemporary)が前面に出るようになり、何かしらの既存の方法論を学ぶ前に先ずは自らの手で思うように作る行為を重ね、その結果を通じて自分がどのような方向性に在るか(歴史と繋がっているか)を発見しようとするアプローチの浸透がある。既に幾重に分化する歴史を互いに比較し、検討と習熟を可能にする環境が見当たらない状況では、たとえ未熟であっても作るしかない。

このアプローチが許す時間には限りがある。目安として、最初の4年。一部にとっては、続く2年。時間が来れば、勝手・自由に人が行き交うターミナルを出て、それぞれの細分化された路線の先、自らの終着点としてのターミナルへと向かわなければならない。またある人は、巡回し続けるその場を改めてターミナルとして捉え、終着点とする。

4年目に入り、選択の結果として表れたごく小さな路線の、終着点近く。車内は別世界になると思っていたが、同じ車内に、ターミナルで目にした人がいることに気づく。歴史を見る目は、ターミナルでも生きているかもしれない。

2007年06月03日(日)

6/2 立姿の感覚

その日(5/19)、多摩美に向かったのは、大橋可也&ダンサーズと東野祥子(BABY-Q)による新作『9(nine)』の公開リハーサルとレクチャーがあったからだ。会場は今年建てられたばかりの伊東豊雄設計による新図書館の入口前広場に当たる、屋内空間。学生の友人に頼み、図書館の中に入る。床の傾斜・アーチ状の構造・大窓から臨む景色、ただいるだけで楽しい。

公開稽古では、この床の傾斜に立つ東野祥子、そしてそれを見渡す観衆に向けて上から複数の空き缶が転がされるシーンがあり、音の響きが印象的だった。

その後、場所を移して批評家・研究者の木村覚×大橋可也による対談。大橋可也&ダンサーズの「あなたがここにいてほしい」(2004)、「CLOSURES」(2007)を映像で見る。STスポットでの「あなたがここにいてほしい」は、以前STでやはり映像で見たような気が今になってするが、記憶違いかもしれない。


この日は、大橋さんのサイトでのエントリー(例えば)、そして今回の『9(nine)』の、外部への広がりを感じさせる内容に興味を持ったことで訪れた。
木村さんのブログでは、先の対談の続きを公開する試みが行われている。

2007年06月02日(土)

6/1 気づかされる

昨日のエントリーを書いた後に、夢を見た。

ひとのことを見ている自分がいるということは、自分を見ている人間もいる可能性があるということだ。それを気づかされた。夢で自分は、3人の手(1人は、手のような足)で身体を押さえつけられて財布を取られていた。これは財布をズボンの後ろに入れていたくなくなる。何だか実用的な夢だ。

ターミナルから大きく離れた自宅近くの駅を出ると、すぐ前方を国道が横切る姿が見える。

この国道を南下していくことはほとんど無いが、先月の19日に久しぶりにその機会があった。その日、バスで多摩美術大学へと向かう。多摩美は、自宅からかなり近くにある大学なんだなと思う。行くのはこれが初めて。大学の周りは、とにかく丘の上で、森のようなものが見える。

2007年06月01日(金)

Copyright (C) 2004-2010 AAPA. All Rights Reserved.