2007年11月のノート
11/26 ひとつの流れ
12月末に外部出演をする舞台の稽古と、来年の1月~3月にかけてのAAPAでの企画と、来年7月の初めて首都圏を離れて行うことを考えている企画の話が進んでいます。あと、更に来年の秋に行われるものについての話も、遅くとも年内には始めておくべきでは、という声が挙がっています。
色々ありますね。でも、このそれぞれが、ひとつの流れを持って、観る人・知る人に伝わっていくものになればと思います。そうでないといけないなと、今は前よりもっと、思っています。以前に書いた、あのエントリーのことを思い出しながら。
2007年11月26日(月)
11/18 それぞれの日々
次回企画のページにて、AAPA参加メンバーの外部出演情報をアップしました。
AAPAは、現代日本で舞台芸術活動を積極的な形で続けていくための、ひとつの形を表すことを目指すプロジェクトです。
参加メンバーは、それぞれが思う目標に向けて、日々の活動を行っています。
年末から来年2月にかけて、それぞれの参加する舞台に、どうぞご期待ください。
2007年11月18日(日)
11/15 19のこと
「Papergate」では、22で神奈川の湘南地域から戻り、東京の西から東へ行き来する生活に変わる中で、暗に気づいていたことを思い返していた。この「今までに見てきた記憶・印象」について思い返すことが、自分が何をしようとしているか/何であるかを表すことになると、素直な意見で申し訳ないが、最近はよく思う。それで昨日も、高3のときに感じたことについて書いてみたりした。
記憶や印象について高校まで戻る前に、ひとつ気になることとして、19のときに書いた文章がある。その内容は、人前で声にした(話した)言葉を後でまとめたものだ。ただ、そのとき聞いていた50人ぐらいのひとに、その内容の意味を伝えることはほとんどできなかったと思う。
その理由は、ただ理解しづらい問いを再提示しただけの粗末な内容だったからかもしれないし、頭で理解するよりも感じるに至るような形で伝えるべき内容だったということかもしれないのだが、大学の授業のレポートとして書かれた文章はまだ手もとにあって、その気になる感じを残している。気になる。
2007年11月15日(木)
11/14 現在の理由
何故か、1人でいるときは昔のことを思い出してばかりいる。
いまは、高校のときのことを思い出した。
高校では、1年のときに部活に入らず遊んでいると(つまり帰宅部)、担任のOK先生に「なんか入っとけ」と、確か秋だな、そう言われた。ので、とりあえず「人がいないところに仲いいやつを呼び込んで一緒に入れば、好きな感じでやれるだろう」と企んだ。それが新聞局(中高両方の学校新聞を作っているところ)だった。
全くもって短絡的。
しかし、全くもって帰宅部らしい判断。
この新聞局には、結局卒業までお世話になり、色々と楽しい思いをした。
ただそれについては、今回はどうでもいい。そのことは別に思い出さなかった。思い出したのは、「ああ、どうも自分は、取材をするというのが向いていないというか、嫌な感じがするというところから離れられないな。自分は取材する側ではなく、される側になろう」と、卒業前の最終号を出すときに思ったことだ。そして、「大学に入ったら演劇をやろう、小学校のとき得意だったから」という話になった。
これはいま考えても殊更素晴らしく短絡的なのだが、当時は明らかに疑い無く判断していた。あらためて思い返してみても。
完全に大学1年の4月は、「演劇やる」という自己紹介だった気がする。しかし演劇のことは全く知らなかった。そもそも、演劇らしい演技をやりたくないということに、1つだけあった学内で公演を行っている演劇サークルに入り、稽古が始まってようやく気づいていた。それでも、「演劇やる」というのが「舞台やる」という言葉に変わっただけで、短絡的な判断そのものを疑うところに行かなかったのはなぜなのかは、未だよくわからない。
先日、27になった。
あれから既に8年半が経っているので、その短絡的な判断を選択した理由については、更によくわからない状況になっている。短絡的にというにはあまりに長く続き過ぎている、なので何かもっと深いところに理由があるような気がしてくる。ということ。
でも、今日はそれについては思い出さなかった。
2007年11月14日(水)
11/13 気づけば
12月に参加する公演が演劇なので、かなりひさしぶりに、演劇の稽古が続く毎日を送っている。
大学の頃は演劇サークルにいた、といっても、実際は大学2年の冬まで(それも最後の舞台は、本番を2週間後ぐらいに控えた正月一発目の稽古で、公演中止が決定し、本番は行われなかった)で、演劇はどうも飛び飛びでやっている。何年かしてまた戻ってくるような、周期的な展開のリズム。
それでも、毎回が面白い形で戻ってきてくれない限りはやらないだろうから、良い流れにあるのかもしれない。
あの大学2年の冬に、本番を中止する必要は無いんじゃないかと自分が言ったときに、いや私もやめようと思っていたと言った友人も、今は関西で暮らしていて、近々舞台に立つらしい。
たとえ切れることがあっても、良い流れになる場合はあるのだろう。地下に水脈が沈んだ後、再び地上に顔を出す流れは、川としては繋がっているというらしいが、どうかな。名前は変わらないのだろうか。
先週末は、大学1年からの友人の結婚式があった。とても良かった。
2007年11月13日(火)
11/7 たまには手紙を
将来のことを想像することはありますか?
たとえば、私はこういう大人になるだろうとか、子供がいるとしたら2人だな、とか。
自分は、あまり想像したことがないです。
思うのは、一人でいるときは何を考えているんだろうということで、思うのは、次に何をしなければいけないなとか、あそこにある物を1階のあの部屋に持っていこうとか、牛乳を食卓のこの場所に持って来ようとか、そんな類のことだと。
それはちょっと先の未来、将来のことであり、それが延々とスケールを大きくしていって、ああ大学入ったら私はこんなことをしているだろうなとか、社会人になって数年働いてちょっといい年齢になったらきっと、私はこんなこともできるようになっているだろうとか、そういうことなのか。
あるいは、突発的に流れてくる隕石のような、エネルギーが溜まって溜まって、臨界点で・・ということなのか。
いま、12月の舞台のリハーサルで、"view point"という演技のベースになるというワークを何回も繰り返して行っていて、それは簡単に言ってしまうと(対象となる)空間の中で起こっているすべての出来事に対してリアクションして動くことなんだけど、あるとき、みんな一斉に止まってしまう瞬間があるわけです。そして、そこから次に動き出すということに至るまでに、とても勇気がいる瞬間というのがあるわけです。象徴的な言い方だけど。
そんなとき、ああ将来という時間のことを想像してるなと、ふと自分は思うのです。
でも、将来を想像するというのは、さっき書いたとおり、実際どういうことなのかはまだ知らないなという、今日は、そういうことを考えた日だった。
2007年11月07日(水)
11/1 10月の振り返り
10月に観に行った中から、主なものを羅列。
東京・横浜、行ったり来たり。
1. カロリン・カールソン 「Double Vision」 (神奈川県立青少年センター)
2. カンパニー・サミュエル・マチュー 「Us-Band」 (シアタートラム)
3. 松之木天辺 ソロダンス 「ナイト」 (ミュージアム東京)
4. 東京デスロック 「3人いる!」「LOVE」 (リトルモア地下)
5. 金魚 「沈黙とはかりあえるほどに」 (TEMPORARY CONTEMPORARY)
6. Noism07 「W-view」 (シアターコクーン)
7. 劇団820製作所 「izumi (ワークインプログレス/リーディング)」 (STスポット)
8. 「ReFinedcolors」 (スパイラルホール)
9. 燐光群 「ワールド・トレード・センター」 (ザ・スズナリ)
10. 石黒曜子 「マトリョーシカ幻想曲」 (BankART Studio NYK)
その他、急な坂スタジオの国際交流レジデンス事業成果発表(アルカディ・ザイデス『DA AT』/のげシャーレ)、「APPEARANCE│写真表現と現代空間の深層」(代官山ヒルサイドテラス・ヒルサイドフォーラム)などに行った。
