2008年01月のノート
1/29 見えない未来
「ビジョンの視覚化」という文章を読んで思ったこと。
未来はもう、ひとつの方向から描くことができない。
どんなに小さな単位であっても、ひとりが全てを決めることはできない。
自分の未来は、自分とは別に、ただ流れている。
それは意識も、身体も。
全ては見えないものとしてある。
見えないものを、触っていくこと、感じること。
日々の全ては、それをひとつひとつ、試していることのなのだと思う。
2008年01月29日(火)
1/21 報告です
先週末にSTスポットで行った、次回公演の出演者募集を目的にしたワークインプログレスは、ぶじ終了しました。ご参加いただいた方々、ご協力いただきました方々、ありがとうございました。そして次回公演の詳細は、もう少しでサイトにアップできる予定です。今回もどうぞ、よろしくお願いします。
それから、去年に引き続き、今年も山手芸術祭に参加することになりました。去年と同じベーリック・ホールで、3/2(日)にAAPAでワークショップを行います。こちらも、詳細が決まり次第、サイトに情報を載せますね。どうぞよろしくお願いします。
2008年01月21日(月)
1/10 ドレッシングをつくる
年明けすぐに風邪をひき寝込んでいたので、布団の中でよくよく考えたりしていた。
去年の年末からこのエントリーの中でも色々と書いてるが、AAPAでやっている舞台というのは、劇場で興行として流通する舞台と根本的に、拠りかかるところが違うのだろうと思った。料理を例にして書くなら、厨房で腕をふるう料理家ではなく、家庭で使うドレッシングの開発者だ。
うーむ、これは自分で書いておきながら、説明できてるかどうか全く自信ないな・・
やっぱりたとえ話でなくて具体的に書く。いま、誰もが詩として流通するだけの文章を書く素質があると言えるわけではないが、もやっとした気持ちがあるのをあるひとに伝えたいと思い、手紙やメールを書くのは一般的だ。そして最近、カメラやビデオを皆が持つようになり、ネットを利用することでコストをかけずに自分の撮った写真や映像をひとに届けることも可能になり、もやっとした感じを何かしらの形で視覚的に表すコミュニケーションというのも、そのうち生活の中に定着していくんじゃないかという感じがある。
(関係ないかもしれないが、小学生のころにもらっていた年賀状で、漫画を写した絵を書くのが好きな友達が、ひとりだけその年の干支とかまったく関係ない絵が書かれた年賀状を送ってくるので印象に残っていたんだが、もし、こいつはなんかセイントセイヤだろ、とか思って自分にあの絵を送っていたのだとしたら、正にあれがそうじゃないか。とかいまさら思った)
舞台の場合、カメラやビデオのように技術の革新を直接的に受けているわけではないが、他の視覚表現が日常的になるのを受けて、視覚的なものへの注目が次第に集まっている中、同様の方向に進んでいるということだと思える。たとえばそれは、職業として舞台に携わり、専門家として仕事をしているひと以外に、舞台周りについての能力や経験を持つひとの数が増えていっている、というように。
そしてAAPAは、この状況にある(実際は視覚だけじゃなくて環境の知覚だけど)舞台の分野で、職業としてそれを常日頃の仕事としてない人間が、その「もやっとした感じ」を表現するということに、取り組んでいる。
そしてこのとにかく長い話の結論は、結果として舞台での表現はプロとして活動するひとがいなくなるという話ではなく、またAAPAに関わっているひとにはプロとして活動するひとはいないよということでもなく、ただそれとは別に、舞台での表現やダンスという「現時点では抽象的で何が伝わってるのかよくわからないとされがちなコミュニケーション」を、日常の中で使うとしたらということかというのを考えるひとも、最近はけっこういるのでは、ということだった。
まあAAPAの場合、とりあえずこんなんでどう日常で使っていく気か、という形をしているので本当にその気があるのか怪しまれてもしょうがないところがあるが。けど、とりあえず邪魔になりそうなものは全部とって、素舞台でやりましょうという話なら、今さらわざわざこんなことを書いてやる話じゃない。
2008年01月10日(木)
1/2 箱根の傍ら
自身が生きるこの世界の生活環境を作り変えようと考えるときに、たとえそれが一時的な、小さな範囲のことであっても、何を考えてどのような空間に作り変えようと考えているかということを、直接的に空間に手を加えて形にすることの意義は、思う以上に大きい。だからこそ、舞台という空間をメディアにアプローチする意味がある。
また、AAPAで対象としている生活環境とは、ある地上の一点から目に見える範囲の世界を示しているのではない。鳥瞰した視点からの、ある一地域のことを示している。そのような広範囲の位置付けを変化させていくには、ひとつひとつの具体的な施策とは別に、複数の動きが同時並行で生じる、運動体としての変化の有様が必要だ。それには、ある種のデフォルメされた象徴を、メディアとして形作る必要がある。
これら2つが、想像の世界を表す、舞台表現に取り組む意味だ。
なんとなく駅伝も、昔は(始まったときの理由とか)そういうのに近かった気がする。
2008年01月02日(水)
1/1 新年
年が明けました。昨年に引き続き、今年もどうぞ宜しくお願い致します。
さて年始ということで、今日は午前中の間に実家に帰還。元旦らしくゆっくりと過ごした後、暗くなってようやく、今年をどういう年にしていきたいかを考える。
AAPAでは、生活環境から受ける気づきを、引き続きひとつひとつ、舞台空間/作品という形にして発表していくこと。そして、それによって作り出したものを、これまで以上に多くの人に知ってもらえるよう、策を練ること。
結局は、この単純なことができるかできないかが、AAPAがこれからも活動を続けていけるかどうかの分かれ目になるだろう。これまで、各種助成機関からは資金の投資を、参加してくれているメンバーからはボランティアという形で時間の投資を、既にAAPA開始から3年半に渡って受けている。2008年は、この4年という助走期間を終え、多くの人が知ることができる形に活動を発展させることが目標になる。頑張り時ってやつだな。
