2008年02月のノート

2/26 今週末に再び

来月末の3/24から始まる(初日が月曜日!)「PAPERGATE」のリハーサルが、少しずつ進んでいます。昨年から繰り返し、「作品テーマ(PAPERGATE)の視点」に立ち返り進めていくことで、次第に関わっているメンバー同士で形あるイメージが出来上がりつつあります。特に、前回の「Papergate」から連続で出演し、今回は振付として共に作品を作っている、永井美里・いとうみえのふたりの中に、少しずつ具体的な形が表れてきていると感じています。

今回の「PAPERGATE」では、1月に出演者の募集を兼ねて横浜・STスポットにてワークインプログレスを行い、昨年から作ってきた永井美里・いとうみえの振りをもとにした、ワークショップを行いました。そして今週末の3/2(日)に再び、今度は横浜・山手のベーリック・ホールにて、振付の永井美里・いとうみえのふたりの身体を通じて、「いまAAPAが興味を持って探っていること」を伝える場を持とうと考えています。詳しい内容はコチラ

AAPAは、これまでに様々な生活環境で舞台空間を作り出す試みを行う中で、それぞれの場所の特性を読み取り、自らの作品世界に映していくことを積極的に受け入れてきました。多彩な空間性を持つ歴史ある建築物であるベーリック・ホールを会場とすることで、いま自分たちが「PAPERGATE」の上演に向けて作り出しているものがどのように変わるのか。

このことに興味を持って、今回の試みを行いたいと思っています。

2008年02月26日(火)

2/24 作品名について

"papergate"という言葉は、「何か思い立って越えていくようなものではなく、ありふれていて、それこそ誰であっても越えていくものとしてのゲート」というのを、テーマにしたいと考えて作った造語。

「ペーパー」という言葉を選んだのは、そこに「形だけある」「ありふれた」「あふれている」という語感があるなと思ったからで、それによって「何か特別なものを越えていく機会」として受け取られるゲートの語感を、外そうと思った。

なぜ、ゲートという言葉には「稀な」「特殊な」機会、といったイメージがあるのだろうと考えたとき、それはゲート自体ではなく、「ゲートの向こう側」に見える世界に、そういったイメージが感じられるからだと思う。
そしてゲート自体は、「特別な場所にしかないもの」ではなく、本来、どこにでも作ることができるものだと思う。論理回路でのゲートが、「AND」「OR」「NOT」の組み合わせだけで、ごくシンプルにできているように。


どこであろうとその姿を構えている"papergate"としてゲートの存在を見ることができれば、向こう側の「特殊なもの」も、限られた場所に縛られる必要がなくなる。

舞台も、場所の限定性が故に「特殊」なんだ、ということではなくて、ゲートを挟んだ位置関係を意識することができれば、どこでも立ち上がる可能性があると考えていきたい。

どこでなければいけない、ということではない。


だからこそ、皆で共有する集約された一点(地区/場所)というのは架空のもので、実際にはゲートの連なりとして、生活環境や他者があるように思う。

2008年02月24日(日)

2/22 作品の背景

舞台が、実際に客席と地続きの空間で行われていることが意識されたとき、作品そのものを体験した印象と同時に、舞台と客席のある場所にたどりつくまでに(あるいはその場所から外に出たときに)通る空間の印象も、観客になる人には強く残るものだと思っている。

生活環境の特徴を取り入れた舞台作品を作りたいと考えてAAPAの活動を始めたとき、このことが意識にあって、舞台と客席のある場所(劇場空間)の外に広がる空間のことを考えて、様々な劇場ではない場所(生活環境)で舞台作りを行っていく内に、だんだんと、周囲の生活環境を人間が身体を器にして運んでいるように思えてきた。

というのも、ここで意識していることは、見方を変えれば観客になる人が、舞台作品の世界(「ここから離れた場所」)に、舞台と客席の外に広がる空間の特徴を運び入れたり、混ぜ合わせたりしているということだからだ。そう考えると、生活環境というのは実際の場所としてある以上に、生活環境を繰り返し通過することで日々を過ごしている、人間の身体自体に存在しているように感じる。


前回の作品(「Papergate」)を作り始めるとき、このことがちょうど頭にあって、東京都心までのルートを行き来し、夜に生活環境としての東京近郊に帰る日々を送る中で、身体に蓄積されていく生活環境というのはどのような形を持つのだろう、ということを考えていた。

そしてこのことを、実際に東京近郊で暮らす自分の生活に置き換えて考えてみたとき、自分の生活環境("わが町")は、「あるひとつの地区」というより、離れた場所をつなぐ導線としての"papergate"が集まることで現れる場所、と言ったほうが実感に近いと思った。複数の流れが注がれ続ける、湖としての場所。それは水槽、あるいはコップなのかもしれないが。

今回の作品(「PAPERGATE」)では、この感覚についてもう一度深く、思いを巡らせていきたいと思う。

2008年02月22日(金)

2/8 しょうがないな

僕は今の日本が嫌いだ」という文章を読んで思ったこと。

まずタイトルが目を引くが、本文の中の、↓のところに目がいった。

「企業の一員になるように教育されてきて、もう企業の人員は十分間に合っているから、自己実現を目指せと言われても、何をしていいのかわからない」

企業の人員が間に合っているかどうかはわからないが(会社員ひとりひとりの待遇を、これまで通り維持するという意味ではそうなのかもしれない)、企業からすれば専門の人間による協同を進めた方が経済的に効率がいいと分かった以上、「自己実現を目指せ」という言葉は、組織の外にいる専門職を増やそうとする動きとあわさって、使われているのだろう。

ただ「何をしていいのかわからない」と書かれているが、ひとそれぞれ、もやっとは考えがあるわけで、「何かしてみる」ことはそれなりにできているだろうと思う。実際。
それより、そのあとだ。

「自己実現を目指してみると、自分のことで頭がいっぱいで、他人のことまで心配している時間が無い」

これは、そういえばそうだな、と思った。

今さら気づくなということかもしれないが、確かにこれまで(このあとの文章で教育のところに話が及んでいるので)自分は周りと、「自己実現」ということを普通に「自分のことを考えること」だと捉えて、会話をしてきたと思う。
だから、「自己実現を目指してみると、自分のことで頭がいっぱい」になるわけか。
不安になるぐらい単純な文章だが・・。


専門の人間による協同が経済的な効率性を生むとわかった以上、それぞれが「自己実現」へと傾倒していく動きは、今後も止まることは無い気がする。

自己実現を目指していくこと(「自分のこと」を考えること)と、「他人のこと」を考えるということがひとつ合わさる状況というのは、あるのだろうか。
それが合わさったところに―

と、言葉で言うのはやさしい。

だが実際にそれを行うことは難しく、そのための時間が必要だ。
それならそれぞれ自分でやれという話かもしれないが、そう簡単にできるものでは無いように思う。他人と一緒に、このことを中心に置いて話す(あるいは間接的にでも)時間が必要だ。

結局、「自分のこと」と「他人のこと」を入れ違いにして語ることしかないように思う。まあ、これはこれで相当いびつな考え方かもしれないが、自己実現を目指すこと、それを「自分のこと」について考えることだと理解したところに始まりがある以上、しょうがない気がする。スタート地点は、今から変えられない。
そう考えたとき、たとえば仕事や家庭とは別の種類のものとして、他人と共に舞台を作る時間というのが必要になっているのだなと思う。

こう考えて舞台をやること自体、相当いろいろ面倒なことが起こる。かといって、そのままでいたらなんとなく社会で上手くいかない感じが確実に続いていくわけだから、しょうがないので、やる。

なかなか後ろ向きな感じにも見えるな。だから前回のPapergateは「寂しい感じ」だと言われたのか。それも色んな意味で、の話なんだろうが。


まあでも、要するに、しょうがないのだ。


2008年02月08日(金)

2/1 次回企画の内容

2月に入った今日、次回企画の詳細の告知がこのサイトでもアップされ、予約も始まりました。どうそ、よろしくお願いします。

そしてタイトルは、前回の「Papergate」と同じ(今回は全て大文字)で、背景に置くのも同じ「東京近郊」の世界。だけど、その上で前回とは逆方向に向かうことで、流れや動きを前回と別物にしていく。

今回の別会場での再創作(「巡演の時間 その2」)で、この言葉が何を表すか。もうひとつの「PAPERGATE」を、視点を変えて探ってみようという話。さて、どうなるか。

2008年02月01日(金)

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