2008年05月のノート

5/26 猫のつづき

何度も通る道、というのは、当たり前だが色々とよく覚えてしまう。一昨日の夜に猫を見た道では、今朝も同じところっで猫と出会った(上り下りは夜と逆だが)。あっちも通り道なのだろう。これからもよく会うはず。

「場所の記憶」と言ったとき、それが他人と共有するものとしてのという意味なのか、自分の記憶に残っているというごく個人的なことなのか、ということを考えてみる。

さっきの猫とのことに戻ってみると、「場所の記憶」の中に動くもの(生き物)が入っていることもあるな、と思う。そうなるとまあその時点で自分だけでは無いかな、と思ったりもする。
ただ、おれはアレよく覚えてるんだけど、なんだ、ぜんぜん覚えてないんだ、そっか、ということもよくある気がする。実際どうなのだろう。

あと写真というのも、自分の記憶が部分的なことを思い返させると同時に、ホント部分的なもんだな写真というのは(もっと右を写せ)、という風にも思うので、なんだか万能なことなどこの世に無いなあ、と考えてしまったりする。今夜は蒸し暑い。

2008年05月26日(月)

5/25 表情を見る

先週、野毛山動物園で行われた、『動物園物語』(作:エドワード・オールビー)が原作の『Zoo Zoo Scene(ずうずうしい)』(演出:中野成樹)を観た。最初に動物園ツアーがあって、園内をぐるぐるとコンダクターの後をついて歩き回り、たくさん動物を見た後に、それまで通ることのなかった見晴らしの良い広場に通され、そこで少し遠巻きに、2人の役者がぽつんと、そしてうろうろと動く様子を眺めた。いま思えば、そのときの自分は動物を見るような目で、その様子を眺めていたのかもしれない。これは、『動物園物語』の作品内容ともリンクする。

が、それ以上に「動物」ということを意識したときがあって、それは最初に10分ぐらいそういったシーンがあった後、客席と舞台があるところに移動し、あらためて芝居を観ていたときだった。役者のひとり(佐久間文利)が犬に話しかけるという話がでてくるのだけど、そのときのその役者の表情が、本当に犬のような動物に見えたのだ。

午後の、まだ日が十分に出ている時間の芝居だった。観客は、劇場外での舞台で何を見るのだろう、ということをふと考えた。
自分は、観客は、目の前のものを、それだけでは見ていないように思う。何か見えないものを目の前のものに重ねて、二重化したものを見ていると思う。


2008年05月25日(日)

5/24 港北の夜 2

今日は駅からの帰り道で、2匹の猫がのどを鳴らしながら(フーッ!ってやつ)にらみつけあっている姿を見た。なんか屋根の上とか塀の上とかでは見たことある気がするけど(マンガの印象かな?)道のど真ん中でやりあっているのは初めて見た。実家の近くでは見たことありません。

そしてその2匹の猫の声を、近づいていって、通り過ぎて遠ざかっていって、という間に聞いていると、ああこれはトラとかライオンとかの仲間だねやっぱり
と思うと同時に、赤ん坊と子供の間ぐらいの声に聞こえてしょうがなくなってきた。
なんでだろ。やはりここが住宅街だからだろうか。

とりあえず、1歳そこらの子供同士がのどを鳴らすのごとくわめき、にらみあいながら、じりじりと弧を描くようにごろごろと床を転がったり這ってたりする様を想像してみた。そんな港北の夜。

2008年05月24日(土)

5/6 時計 2:39


小さくても、頭の中でスッと通るものを形にすることだけ突きつめて、進めていく。

そしてそれは、ある繰り返しであって、ひとつのリズムになっている。


2008年05月06日(火)

5/4 港北の夜

つい今、深夜の路上を歩いていた。
奥の空がオレンジに染まっていて、何か不思議だった。

このこととは直接関係ないけれど、深夜の路地を見て回っていると、外を歩くひとの姿が不思議に妙に見える。ここ最近、繰り返し見ている。

2008年05月04日(日)

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