『PAPERGATE』

11/22 ある視点

先日のアートラインかしわ2008でのAAPAの公演風景について、今回の柏企画でAAPAを担当してくれたsatokさんが、ブログにコメントを書いてくれました。他にも。(→ 初日 / 2日目 / おまけ
こういう風に、観客席から見えた視点を写真や言葉で表してもらえるのが、嬉しいと同時に単純に面白いです。


11/10 柏公演のご報告

アートラインかしわ2008の参加事業として、11/8,9の2日間に渡りJR柏駅東口駅前のデッドスペースを活用して行った『PAPERGATE (Kashiwa)』、ぶじ公演終了致しました。
ご来場いただきました皆様、最後までご観覧いただき誠に有難うございました。


10/25 人がいない部屋

リビングサイズの部屋に1人。この2008年の世界の印象。


10/21 しっかり柏

今日は朝から柏。10時半に駅に着いて、フライヤーを置いてもらおうと服屋やカフェを訪ね始めたのは11時過ぎだったが、どこも閉まっている。これは早く来すぎたな。しょうがないのでレッドライオンストリートの手前にあったベンチに座っていると、お世話になっている二番街商店会の理事長さんが通りかかって声をかけてくれた。まだ2回しか会ってないのに、顔と名前を覚えてもらっていて嬉しい。
「裏路地にたくさんある服屋とかは個人でやっているから、店が開く時間も日によってけっこう自由だよね」みたいな話を聞く。そうか、そうだろうな。

後で挨拶に伺いますと理事長さんに伝えて別れ、再び街を歩く。とりあえずいくつか目当てのお店で挨拶をして(行きたかった「66」に入る時間は無くて残念)フライヤーを順調に置かせてもらい、集合場所へ。今日は「PAPERGATE(Kashiwa)」の本番の11/8,9に会場スペースを貸していただく複合ビル施設の運営委員の方々に実施内容の説明をする会があるので、その前にアートラインかしわ2008事務局(blog)のSさん・Tさんと前準備の打ち合わせをするために、現場の会場スペースに集合。説明書類の用意を手助けしてもらい、話は相手側がどうでるかで上手く対応する感じでいくということに。オトナだ。
説明会の会議室に入ると、見るからに責任相応の役職に就かれている感じの方々で(当たり前だが・・)まあ緊張するが、悪い人はいなかったのでぶじ終了。姿勢として基本的に前向きで、駅前空間の賑わい作りに長年向き合ってきた人たちなんだよな、と実感。

その後は、二番街商店会の理事長さんに会いにいしど画材へ。公演当日にお借りする機材の確認も、ものすごくスムーズに完了。とにかく話が早いのがすごい。

アーケード式商店街の二番街に何枚も連なるアートラインかしわ2008のフラッグ
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ストリートライブがよく行われる駅前デッキの広場にも、高さが2mを超えるポスター看板があって、これは柏駅の東口に来る人のほとんどの目に入っているな、と思う。気合いが入ります。



10/20 西も東も

今日から10月下旬。先週は、11/15,16に本番の『Migrate』の稽古を進めつつ、舞台で使う映像の撮影をしに実家のある西の東京近郊・八王子(片倉)へ。G-net TOKYO の不破さんと、その前の週に当たりにつけておいた撮影スポットを周っていく。途中、難所(自分が高校か大学の頃に丘が切り開かれて新しく車道ができたところ)に出くわすも、不破さんの果敢な挑戦のおかげで、ぶじ撮影完了。

かなりの急斜面をカメラ片手に登るふわさん
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小学校時代に遊んでいた場所を、こうしてあらためて周る機会もそうそうないと思う(自分は15年振りぐらい)ので、貴重な感じがした。実家の周りは、昔と変わったところは一部だけで、どの場所もけっこう小学校の頃の記憶と変わらなかった。思った以上に自分が野山だらけの場所で育ったことに気づく。中学から別の街に通学し出して、けっこう忘れたんだと思う。


そして先週末は、アートラインかしわ2008のキックオフパーティがあったので東の東京近郊・柏へ。関係者がたくさん(60人以上?)集まっていたけれど、会場が丁度よい大きさで、初めてのひととも距離を感じずに近づいて話せる雰囲気が良かった。暗めの照明も、その雰囲気をアシスト。その他もろもろ、パーティは事務局の方々の心配り満載で進む。思いっきり至近距離で、割烹着姿の食堂のおばちゃん風衣装で弾き語りライブを聞くことになっても、なんか自然。さすが柏。

明日は、会場使用の最終案を説明するため、再び柏に。
柏駅周辺を回る、3回目の宣伝活動もしてきます。


10/7 外から来ること

昨日は、午前中から柏。11/8,9に、アートラインかしわ2008の一環でJR柏駅東口駅前に広がるデッキ上の、ビッグカメラが入っているビルの隣のスペースで舞台を行うので、そのための3度目の下見。アートラインかしわを始め、様々な形で柏を活性化させる企画を仕掛けてきた、二番街商店会の理事長さんにも挨拶をさせてもらう。あわせて今回は、柏の街にいくつもあるカフェや古着屋・雑貨屋さんの店頭に、チラシを置かせてもらうお願いをするため、昼過ぎから夕方まで柏の街を周る。どこのお店も親切に対応してくれた。

その間、自分たちが柏の外から来ているグループだということを考える。8月の岐阜もそうだったが、いずれはこれに答える必要があるだろうなと、漠然と。ただ4年前、ポートサイドギャラリーで企画をすることになり、横浜に繰り返し訪れ始めたときも同じ状態だったのだから、今このことについて考えすぎてもしょうがない。柏にはまた来週、来ようと思う。


9/15 岐阜の舞台風景2

昨日の写真では見えなかった、右側部分はこんな感じ↓

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奥で踊る永井さんの左脇に見えるのは、人工林の倒木が起きている現場。
その様子を、間伐材で作られたダイニングセットとボックスが挟む光景がなんとも。

しかし、やっぱり舞台上の状況についての解説が、必要な気がする。
動きの説明ではなくて、舞台空間にあるもの(イメージ)についての解説。

どうするかな。やっぱり始まる前にレクチャーだろうか。
あるいは、こんな風に後日するとか? 来てくれた人に案内出せなきゃダメだけど。


9/14 岐阜の舞台風景1

東京から駆けつけてくれた高校の先輩が、舞台に隣接する日本家屋の2階から撮影してくれた写真。これでも全景が入らない・・(右側に立体装置が2つある)

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9/1 岐阜から戻りました

8/30,31と岐阜県郡上市明宝で行ったパフォーマンスが終わり、先ほど横浜に帰ってきました。今回の感想を、総論的にですが以下に記しておきます。

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岐阜の四方を山林に囲まれた場所で、森林に関するレクチャーに続いて『PAPERGATE』(デュオバージョン)を上演するという経験は、上流(山間部)と下流(都市部)の「距離」というものを、すごく直接的に、自分たちに伝えてくれたと思う。

上流と下流は、互いの距離にしろ環境にしろ、物理的にはとても離れている。だが、それぞれにある精神的な感覚やセンスには、遠いものも近いものもあるように思える。シンプルなその思いつきを手がかりに、上流と下流の遠近(距離感)を確かめることを目標に掲げて、今年の初めから、岐阜の山間部と都市を繋ぐプロジェクト:「Migrate(マイグレイト)」に取り組んできた。

この8月の岐阜でのパフォーマンスを終えたところまでの経験は、その最初の一歩で、「距離」とは何なのかということを、現場に身を置くことで、考えるより先に体感として残すことが目的だったと思う。だから、たがいに理解し合えたことはまだまだ少ないと感じるが、次に向かって何を感じて進んでいけば良いかは、からだで実感したと思う。

今、あらためて感じているのは、「距離」というのは簡単に超えられるものではなく、深さを持つ、ということ。

そのことを確かに描きながら、流れとして繋がっていることが持つ、近さについてどう表していくのか。11月にアサヒ・アートスクエアで行う公演に向けて、考えている。(上本)


7/1 夏・秋に向けて

今日から7月。今年も例年のごとく、春の公演が終わってからの3ヶ月間は、夏・秋に向けての活動の準備でした。去年のこともあって、情報のリリースについて慎重になってますが、ようやく場所が確定しそうなのでご報告。

次回は8月末に、岐阜の郡上という山林に囲まれた場所で、昨年取り組んだ 『PAPERGATE』のデュオバージョンを上演します。

あわせて『PAPERGATE』を通じて、これまで横浜市内で行なってきた「巡演の時間」シリーズの方向性を、さらに長期に渡って様々な地域で展開していく内容に発展させていくイメージで、現在、準備を進めています。

詳細についてはまだご紹介できませんが、また近いうちにご報告できると思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。


2/24 作品名について

"papergate"という言葉は、「何か思い立って越えていくようなものではなく、ありふれていて、それこそ誰であっても越えていくものとしてのゲート」というのを、テーマにしたいと考えて作った造語。

「ペーパー」という言葉を選んだのは、そこに「形だけある」「ありふれた」「あふれている」という語感があるなと思ったからで、それによって「何か特別なものを越えていく機会」として受け取られるゲートの語感を、外そうと思った。

なぜ、ゲートという言葉には「稀な」「特殊な」機会、といったイメージがあるのだろうと考えたとき、それはゲート自体ではなく、「ゲートの向こう側」に見える世界に、そういったイメージが感じられるからだと思う。
そしてゲート自体は、「特別な場所にしかないもの」ではなく、本来、どこにでも作ることができるものだと思う。論理回路でのゲートが、「AND」「OR」「NOT」の組み合わせだけで、ごくシンプルにできているように。


どこであろうとその姿を構えている"papergate"としてゲートの存在を見ることができれば、向こう側の「特殊なもの」も、限られた場所に縛られる必要がなくなる。

舞台も、場所の限定性が故に「特殊」なんだ、ということではなくて、ゲートを挟んだ位置関係を意識することができれば、どこでも立ち上がる可能性があると考えていきたい。

どこでなければいけない、ということではない。


だからこそ、皆で共有する集約された一点(地区/場所)というのは架空のもので、実際にはゲートの連なりとして、生活環境や他者があるように思う。


2/22 作品の背景

舞台が、実際に客席と地続きの空間で行われていることが意識されたとき、作品そのものを体験した印象と同時に、舞台と客席のある場所にたどりつくまでに(あるいはその場所から外に出たときに)通る空間の印象も、観客になる人には強く残るものだと思っている。

生活環境の特徴を取り入れた舞台作品を作りたいと考えてAAPAの活動を始めたとき、このことが意識にあって、舞台と客席のある場所(劇場空間)の外に広がる空間のことを考えて、様々な劇場ではない場所(生活環境)で舞台作りを行っていく内に、だんだんと、周囲の生活環境を人間が身体を器にして運んでいるように思えてきた。

というのも、ここで意識していることは、見方を変えれば観客になる人が、舞台作品の世界(「ここから離れた場所」)に、舞台と客席の外に広がる空間の特徴を運び入れたり、混ぜ合わせたりしているということだからだ。そう考えると、生活環境というのは実際の場所としてある以上に、生活環境を繰り返し通過することで日々を過ごしている、人間の身体自体に存在しているように感じる。


前回の作品(「Papergate」)を作り始めるとき、このことがちょうど頭にあって、東京都心までのルートを行き来し、夜に生活環境としての東京近郊に帰る日々を送る中で、身体に蓄積されていく生活環境というのはどのような形を持つのだろう、ということを考えていた。

そしてこのことを、実際に東京近郊で暮らす自分の生活に置き換えて考えてみたとき、自分の生活環境("わが町")は、「あるひとつの地区」というより、離れた場所をつなぐ導線としての"papergate"が集まることで現れる場所、と言ったほうが実感に近いと思った。複数の流れが注がれ続ける、湖としての場所。それは水槽、あるいはコップなのかもしれないが。

今回の作品(「PAPERGATE」)では、この感覚についてもう一度深く、思いを巡らせていきたいと思う。


2/1 次回企画の内容

2月に入った今日、次回企画の詳細の告知がこのサイトでもアップされ、予約も始まりました。どうそ、よろしくお願いします。

そしてタイトルは、前回の「Papergate」と同じ(今回は全て大文字)で、背景に置くのも同じ「東京近郊」の世界。だけど、その上で前回とは逆方向に向かうことで、流れや動きを前回と別物にしていく。

今回の別会場での再創作(「巡演の時間 その2」)で、この言葉が何を表すか。もうひとつの「PAPERGATE」を、視点を変えて探ってみようという話。さて、どうなるか。


10/13 Pg検証(6)

Papergate」のテーマは公演初日を控えた深夜に書いたように、「東京近郊の夜の風景」だった。ただ、実際はそれだけでは無く、「都心に通勤するひとり暮らしの女性が見る、東京近郊の夜の風景」というのが、当初からこの作品の軸にしようと考えていた設定だった。

Introductionにある、22歳から26歳にかけて徐々に移り変わる姿が、東京近郊から見る都心の姿と重なり、いまいる場所と都心との距離感をひとつの形(Papergate)として表す、きっかけを与える。遠くに見える夜の都心の光と、この東京近郊という場所に新たに建てられた建物に溢れるカーテン越しの光が、互いが反転するような位置に並ぶ瞬間を、作品を通じて描ければと考えていた。

だが想定していた会場は利用できなくなり、結果的に構成は変更することになった

「並列」から「分岐点」へ。

「都心を臨み、その姿を背景として反転させる」姿と、「都心に通勤するひとり暮らしの女性」の「見ること(vision)」を重ね合わせることを想像した試みは、設定としてある「都心に通勤するひとり暮らしの女性」と「東京近郊の夜の風景」、そのそれぞれに存在する「時間経過」を重ね合わせる試みへと、移り変わることになった。


10/12 Pg検証(5)

沈黙の8月。今日は、その様子を。

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とりあえず、基本的な作品の方針は変えないと決めていたので、8月頭から本格的に始まった稽古では、自分の中でわかっているところまで、まずは取り掛かることにする。

しかし、変更になった会場での舞台(空間)プランは、依然として頭に浮かばない。稽古場で動き(ダンス)をひとつひとつ作っていくのだが、これをどこからどう見ることになるのかは、未定のまま。いやー酷い話だ。と自分に空しい突っ込みを入れつつ 仕方がないのでひたすら個々のソロを各ダンサーと協同で作っていく。

前回のLFで振付だった永井美里から、9月頭までに全体の見通しができてないと本当に間に合わないですよ、とアドバイスを受けるも、稽古場では相変わらずそれぞれのソロばかり続ける。

そんな8月はいつになくグレーである。たまに会場になるZAIMの地下を確認に訪れれば、正にこの気分そのままの空間が広がっている。うーん。なぜ。
兎に角、会場となる場所で空(景色)を見ることができないのが痛い。地下だから当前なんだが。「Papergate」が…見れない。

と、言っている間に9月は来てしまう。結論。現実的な路線の選択。


今回の作品には、複数のテーマを持たせてある。最も中心になると考えていたものを先頭に出すのではなく、別のものを先頭に立たせることを決めた。

舞台空間は、当初予定していた並列型の構成ではなく、直列の変則型で構成することに決定する。これでもう、後戻りはできない。舞台世界の中心は、直線(並列)ではなく L字型(分岐点/変わり目)になることが決まった。これで、当初に想定していた「行き止まり(頭端)式のターミナル」からの発想は、とりあえず捨てなければならない。なぜなら行き着かないから。しかし、そうすぐに忘れられるものでもない。既にそうだと思い込んでしまっている。ので…

知らんし。

というわけで、出演者の構造が4対1に決まる。後はこのルール(構成)の通りに部品として作ってきたそれぞれのダンスを当てはめ、自然とここで通るなというポジションが決定していく。出演者の配置と動線は、これで基本確定。ここまで作ってきたソロのパートについてはね。という話ではあるが。

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ここまでで、8月は終わる。
こうして出来たもの(形)と作品内容との整合性を、これから見なければならない。


そう考え、9月に入った。



10/11 Pg検証(4)

思いがけず追い撃ち的な踏み外しに出喰わし、方向感覚を失うように着地。
この7月末時点での、その他のことについて。

まず、声をかけていた方の予定が合わないこともあり、舞台監督を外部から招くことを断念。いつものことだが。あわせて照明・音響オペも、今回は専門スタッフが確約せず。別にこれらは執拗に探せば良いだけの話だが、そういう気分でも無く、いま揃っているメンバーでやれることはやるという形で進めることにする。とにかく計算できない要素がこれ以上増えるのは避けよう、という判断。
(*公演本番では照明オペを演出の上本、音響オペを音楽の國府田が担当)

そして相変わらず大したことを書いているわけではないが、チラシに載せる作品のIntroductionについては、まあこのタイミングで(会場が変わってしまったとはいえ)別作品をやる余裕は無いので、当初の構想のまま入稿。作品タイトルも当初の通り。しかし会場の雰囲気は大きく変わってしまったため、チラシ完成後のプレス実施時に、制作メンバーから「公演の案内文が相変わらず(…)よくわからない」「こういう文章に直したらまだ伝わると思うがどうか」という校正が入る。まあこれ自体は毎回のことだが、その文面を見て、まるで自分が全く違う舞台を作ろうとしているように感じる。このあたりで、どうにも口数が少なくなる。

8/9の「スキマ」を最後に、webのこの欄にも書き込まなくなる。


当初の考えの通りに、地下の会場で空間構成をしてみようとやってみるが、案の定というか、思い描いていた効果は出ず、断念。

結果、5月末に浮かんだ構想を再度組み直し、ベースになる「見ること」を 空間 から 時間 に変更することに決める。そのため今回は、上演する会場の空間構成(営為)に関係なく、先ず音と動き(ダンス)をそれぞれ単体で作り出すことによって、時間の構成を優先する形を取った。LFの次にいきなりこれをやるつもりは無かった。だがこれが、仕様が無いというやつだ。

あれだ。おれは今回、AAPAで外部作家やカンパニーと協同した「アウェイ」シリーズ(1.アウェイ遠征/2.アウェイ箱庭/3.アウェイ街区)の外部側をやるわけだ。とか自分で自分に言ってみるかと思うが、意味無いので黙る。


そんな感じで8月は終わる。本番まで、あとひと月。



10/10 Pg検証(3)

公演会場の変更を迫られる事態は、とにかく激しく突発性の出来事だったので、作品内容のことも勿論そうだが当然、制作面の対応も急を要した。漢字多いな。

とりあえず超速で会場を下見(なんせ旧駅舎が使えないと伝えられたのが、ZAIMに入るところでの立ち話だったので、ね)。凡そのキャパを叩き出し、公演日程を組み直す。ZAIM本館地下の空間では客席は40席を割り込むと見て、公演期間を当初の3日間から、木曜から月曜までの5日間に伸ばす決定をする。そしてチラシの会場表記と地図の変更をデザイナー(宣伝美術)にお願いして修正してもらい、なんとか公演2ヶ月前のチラシ入稿を終えた。


いつ何が起きても、仕様が無いと考えるべきと、今回感じた。
(*同じ時期、出演を予定していたダンサーのひとりが怪我で出演できなくなり、代役を務められるダンサーを見つけることも、チラシ入稿までに終えなければならなかった。最終的には新たに2人を出演者に加え、当初4人の予定だった出演者は5人に変更した)

それでも、やるべきことに進むことが重要だと、今その時を再び思い返して、思う。


10/9 Pg検証(2)

昨日、5月末のサイトでのエントリーについて触れた。
この時点で考えていたことを、整理してみる。

 - (ベース/核となる)「見ること」として、空間、時間、身体(間)から1つ選ぶ
 - それを通じて「見ることのないものを見る」
 - 生活での実感と呼応する、「自宅近くの駅前/ターミナル」を作品テーマにする

そしてこの3つをもとに、更に以下の構想を描いた。

 - 「見ること」として、先ず空間を選ぶ
 - 「見ることのないものを見る」ために、「形」に焦点を絞ることを試す
 - 行き止まり(頭端)式のターミナルだった、旧東横線桜木町駅舎を会場とする


上記の構想をもとに企画をまとめ、ここから約2ヶ月、7月中旬の時点で全ては順調に進んでいた。空間のイメージが具体化し、リハーサルの方針が見えてきた。

しかし、7月末。公演会場として予定されていた旧東横線桜木町駅舎は突如「利用不可能」になり(*AAPAが利用申請をしていた週末について)、会場はZAIM本館地下への変更を余儀なくされた。

3つ目が揃わなかったことで、あらためて構想を遡り、その流れが通る様に組み直さなければいけない。既に、公演まで残り2ヶ月…。


10/8 Pg検証(1)

今回は早め。Papergateについて、思い返した内容をメモしていきます。

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本番の4ヶ月前。今年の5月末が、事の始まりだと思う。

-5/26 設計図とは(3
-5/31 気づいている


9/27 公演初日の前に

先ほど前日のゲネプロを終えて、日にちが変わり、今日の夜には『Papergate』の初日の幕が開く。

公演が始まる前にこのようなことを書く気になるというのも初めてだなと思うが、今回の作品の創作を通じて、自分としては確かに新たなことに気づいた気がするので、長くなりそうだが少し書いてみようと思う。


気づいたこと。
それは、自分が作り出すダンス/舞台というものが、あるひとつのテーマ・事象について、今までに見てきた記憶・印象をもとに再構築し、あらためて現前化させる行為なのだということ。ダンス作品を作る多くの人にとって、このことは自明のことなのかもしれないが、自分(上本)はこのことを今回、初めて明確に意識したと思う。
今回の作品、『Papergate』の根本的なテーマは、「東京近郊の夜の風景」。そしてそのイメージは、八王子と湘南台(神奈川県藤沢市)に住み、日中に電車での通学・通勤などを目的とした移動を頻繁に行い、住んでいる街にいる時間は多くの場合が夜という日々を、現在の人生の半分に渡り(13歳頃から)行い、その光景を目に焼きつけてきた結果の積み重ねとしてある。いつもの日常では思い起こさなくても、それは確かに、記憶・印象として存在している。そのことに気づいた。

もうひとつ気づいたこと。
自分の感覚と照らし合わせたときに、この舞台で展開していく現象は、「東京近郊の夜の風景」の要素を確かに表していると感じる(今日の深夜、実際に家の近所の国道近くの道を歩いていて、改めて実感した)が、一般的な認識(常識/ステレオタイプ)に沿ってイメージされるものでは恐らく無い、ということ。なのでダンスの舞台というのは、そういう類のもの(個人的な感覚と、一般的な感覚とでズレが生じていると意識的・無意識的に感じていること)を表現するために使うことができるものだと言えるのかもしれない、ということに気づいた。
そして更に言えば、作っているメンバーの間で認識が同じでない場合でも、舞台というものは作られるものであるし、かつそうであることが、結果的に表したいことの要素のひとつ(風景を目の前にしているときに、視野の中にある存在のことをよく知っているわけではないという事実)をごく自然に明らかにしているし、凡そそれが真実なのだ、ということに気づいた。

Papergate』の創作プロセスは、先の作品テーマ及びそれに関連する簡単なエピソードを、まず上本から各パートのメンバーに伝え、その上で各自に具体的なプランを形にしていってもらう形をとった。そして実際に、各パートのプランがデッサンとして一通り出揃ったのは、本番2週間前。具体的に形を伴って勢揃いしたのは、現場入りをした本番2日前だった。

これまでのAAPAが、多くの場合、長期に渡り空間を間借りし、特に空間先行の形で、早い段階で具体的なプランを形にしてメンバーの前に提示していたのに対し、今回は一般的な劇場での公演と同様の運び(特に、空間に関して)だといえる。そのため自分自身もこれまでと勝手が違い、この直前になるまで、作品の最終的な姿を具体的にイメージしていない状態にあった。
もちろんこれは、AAPA(上本)が、「具体的なイメージ」とは何かと考える際、視覚・体感による空間把握ができているかどうかを重視するためなのだけれど、今回の場合は逆にそのことが、自分の作る舞台が「作品テーマについての自身の記憶・印象を再構築することそのもの」だということに気づく、貴重な機会をもたらしたのだと思う。かなり素朴な意味で、結果的に。

「冬の山」というタイトルで抽象性を伴う形で描かれた、冬の山の絵のように、今回の『Papergate』は「東京近郊の夜の風景」を抽象化し、印象に残る部分を際立たせて形にした。そのことを見てもらうことが、重要なのだと思う。

今回、初日を前に、こんなことを感じている。


8/8 夏らしい

昨夜の帰りの京王線。多摩川を越えるタイミングで、花火の音。
おーっと声があがると同時に、自分の座る席の前からサッとひとが避けて、向かいの窓越しに川面にあがる花火のアニメーション(コマ送り)。なんか良い演出。

今週末は鎌倉で花火。海の中から見るらしい。


7/31 次回公演について

次回公演の詳細が、決まりました。タイトルは『Papergate』です。

そしてご案内が遅れましたが、次回公演の会場が、以前告知をしていた「旧東横線桜木町駅舎」から、「ZAIM本館地下」に変更になりました。

理由は、次回公演が内定していた期間に、毎年恒例の地域イベントが「旧東横線桜木町駅舎」を会場として利用するという連絡が、7月下旬になり急遽入ったためです。これがいわゆる"踏み外し"。どうするんだと言っている暇もない状況だったので、とにかく日程か場所を変更して実現できないかを、この10日ほどで急ピッチで調整することに。しかし、日程変更は出演者の都合もありNG。
AAPAは、場所が変われば作品内容も変えざるを得ないので、その意味では当初の場所が使えないという時点で、一から作り直しか??

さすがに、今から新たに考える時間は無い。そのため、次回の更にその次に行う予定だった試みを、前倒しにすることに。会場は駅舎より小さい地下に移り、最終的に5日間・7回公演を行うことにしました。いつもと違う意味でアウェイだ・・

しかしこういうときこそ、様々な場所に取り組んできた経験を活かす機会。というわけで、前向きな感じです。ご期待ください。


7/24 やはり起きたか

踏み外しそうな道だと思っていたが。

まあ、少しは予想ができるようになったということなんじゃないかと思い直して、現在足場を組み直し中。詳しくは近々報告します。


こういう時こそ振り返ろうと思い立つ。去年、2006年に行った「アウェイ街区」(12月)と「アウェイ箱庭」(3月)について。

街区では、不定形の大部屋を仕切りで4つに分け、それぞれの個・部屋を作った。新たに作られる埋立地が街区として分かれていく姿を考えたとき、郊外に表れる「部屋」に行き着いた。

箱庭では、山下公園の中にあるガラス張りの空間に、別空間・別機能を差し込む形になった。メインで行われたのは「ジンジャン東京」と「東京ネジ」の公演で、ここは横浜のメインスポットのはずだが、どうにも「東京」が目に付く。ただこの2つの劇団が箱庭で公演を行った作品は、それぞれの団体に縁のある地域:鳥取と盛岡(岩手)を題材としている。

AAPAは、その活動の持つ特性から、郊外/東京がコンセプトに関係してくることが多い。つづく。


7/23 鬼の様に個人主義

別に怒っているとかではないんですが、先週末に次の公演のリハーサルが始まって、今日になってまた何度か思い返していて、その内になんとなく思いついた。

今回、あらためてソロで踊る、動くことが気になっていて、なんでそう思うかなと思っていたが、こういうことなのかもしれないな。


7/10 場所の見え方

9月末の次回公演の会場が、旧東横線桜木町駅舎に決まった。

この場所は、2005年の8月3日に、横浜市の方と東急電鉄の方と一度、現場調査を行ったことがある。この時は最終的に利用許可は出ず、会場は山下公園のレストハウスになり、「アウェイ箱庭」を作ることになった。

あれから2年が経つ。アウェイと名乗ることも無くなり、横浜は自分の何になったのだろう。そのことを見つめる機会にしたい。


昨日の夜遅く、自宅近くの駅からひとつ先の駅で降りてみた。初めての場所ではないが、最初、自宅へ向かう道を間違えて歩き出した。

自宅までの道すがらは、戸建てが多い。途中から戸建てだらけになる。区画は整理されていないのでどこかしらいびつな敷地ばかり。その敷地ギリギリまで家が建てられ、車庫が捩り込まれている。

自宅には、いつもと逆の方向から辿り着いた。
いつも見ていないものに気づかされる。


6/3 路線を歩く

具体的な調査結果を知っているわけではないが、東京都心において「舞台芸術団体による自主的な公演」は現在非常に多く、その状況を東京というターミナルで把握しようとすること自体、想像だにしないことだと思う。関心を持ち、意識的に情報に目を向けて選別し、その上で積極的に時間を調整して会場まで足を運ぶことを繰り返すとしても、多くは追い着かずにかなりの数を見落としていく。

自主公演を行う側には理由がある。作品を発表しない限り、創作技術の成長は見込めないし、様々な種類の観衆に目を向けてもらうことも適わない。背景には、創作の評価軸として同時代性(contemporary)が前面に出るようになり、何かしらの既存の方法論を学ぶ前に先ずは自らの手で思うように作る行為を重ね、その結果を通じて自分がどのような方向性に在るか(歴史と繋がっているか)を発見しようとするアプローチの浸透がある。既に幾重に分化する歴史を互いに比較し、検討と習熟を可能にする環境が見当たらない状況では、たとえ未熟であっても作るしかない。

このアプローチが許す時間には限りがある。目安として、最初の4年。一部にとっては、続く2年。時間が来れば、勝手・自由に人が行き交うターミナルを出て、それぞれの細分化された路線の先、自らの終着点としてのターミナルへと向かわなければならない。またある人は、巡回し続けるその場を改めてターミナルとして捉え、終着点とする。

4年目に入り、選択の結果として表れたごく小さな路線の、終着点近く。車内は別世界になると思っていたが、同じ車内に、ターミナルで目にした人がいることに気づく。歴史を見る目は、ターミナルでも生きているかもしれない。


6/1 気づかされる

昨日のエントリーを書いた後に、夢を見た。

ひとのことを見ている自分がいるということは、自分を見ている人間もいる可能性があるということだ。それを気づかされた。夢で自分は、3人の手(1人は、手のような足)で身体を押さえつけられて財布を取られていた。これは財布をズボンの後ろに入れていたくなくなる。何だか実用的な夢だ。

ターミナルから大きく離れた自宅近くの駅を出ると、すぐ前方を国道が横切る姿が見える。

この国道を南下していくことはほとんど無いが、先月の19日に久しぶりにその機会があった。その日、バスで多摩美術大学へと向かう。多摩美は、自宅からかなり近くにある大学なんだなと思う。行くのはこれが初めて。大学の周りは、とにかく丘の上で、森のようなものが見える。


5/31 気づいている

最近、人が多く集まる場所/ターミナルで、通りすがりに偶然その存在を意識することになった人を、ターミナルの端にある自宅近くの駅に着こうとする車内にて、再び見かけることが続いている。

そのターミナルとは、新宿のことだ。自宅近くの駅はターミナルから伸びる沿線の端にあり、その沿線内で最も一日の乗降客数が少ないということを聞いたことがある。


AAPAのノート

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